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日本経済新聞の記事で、「関ヶ原は何もないことを売りにしている」というのがありました。岐阜県の関ヶ原はご存じのように、1600年に関ヶ原の戦いで東軍と西軍が激突したところ。

ところが、関ヶ原の戦いは実質1日で決着がついていますし、やって来た両軍の軍勢は、一時的な陣を置いただけですから、現地に行っても史跡と呼べるようなものは何もありません。あちらこちらに「〇〇XX陣跡」という石碑と旗が立っているだけ。要するに見て回る文化財や史跡のようなものはほぼ何もないのです。

そこで関ヶ原町が打った手が、何もないことを逆手にとって、どこに行っても周囲が見渡せるようにしたことだそうです。つまり、合戦時に徳川家康最初陣跡から戦場がどのように見渡せて、石田三成陣跡の笹尾山に登ると、軍の配置がどのように見えるか、ということを追体験できる仕組み。

やたら立っている家紋が入った旗は、離れたところから見た時に、相互の位置がわかるようにするためだったのですね。単に雰囲気を盛り上げるためかと思っていましたが、そうではなかったわけです。下の写真は山内一豊陣跡。旗が何本も建てられています。

山内一豊陣跡
山内一豊陣跡

このように関ヶ原では、樹木を刈り、旗を立ててどの武将がどこにいたのかが、高台に立つとすぐにわかるようになっています。訪問者は史跡を見に行くのではなくて、合戦の状況に想像を巡らせることができるという仕組み。なるほど、これは関ヶ原の現地に行かないと実感として把握することはできません。

目立った産業もなく、都市としての大きなビルもない関ヶ原は、何もなくて見通しが聞くことを利用して、このような戦略を考えたわけですね。ハイキング・コースやレンタサイクルも用意されていますから、訪問者は自分の体で距離感などを体験できるという仕組み。(関ヶ原のハイキング

ただ、実際に古戦場を巡っていて思うのは、やはりキャッシュポイントが不足している、ということ。石柱と旗竿しかない陣跡では入場料も取れません。土産物屋さんは駅前ともう一ヶ所くらいにしかないですし、レストランも昔ながらの蕎麦、定食屋さん程度。農業地帯ですから、地元の食材を生かしたこじゃれた(客単価が高い)レストランが1、2軒あっても良いのでは。

関ヶ原は何もない